オダギリジョースカラ座に来る

オダギリジョースカラ座に来る

オダギリジョーを観てきました。否、『ある船頭の話』というオダギリジョー監督の映画を観てきました。昨日書きましたが、川越スカラ座にオダギリジョー監督が舞台挨拶に来てくれたのです。生オダギリジョー男前すぎる。

最近日本映画観てなかったけど、いや素晴らしい映画でした。オダギリジョーが男前すぎるからじゃなくて、映画として本当にすごかった。そして監督としての想いをお聞きすることができたのが本当に良かった。

僕の観た会は、映画上映後に監督挨拶、質疑応答があったので映画を観ての感想とか質問とかが飛び交いました。みんな積極的に手を挙げて質問してるし、北海道や新潟からも来てる人がもいました。すごい。

映画を観ながら、どんな想いでこの映画を作ったんだろうとか、この映画のメッセージって何だろう、って考えながら観てました。僕、監督と同い年なんです。同じ時代を生きてきた人間がどんなこと考えて、どんなことを表現したいんだろうって。以下、オダギリジョー監督のお話の一部

今の日本映画では売れるものしか作られない。原作が既にあるもの、ある程度のヒットが見込めるものにしか予算が組めない。監督や俳優もそれを危惧している。このような作品を作り上映できたことに意義がある。アンタルヤ国際映画祭、ケルヤ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞したとき、スタッフ、キャストがみんな喜んでくれた。昨日はいただいた賞金での新年会だったので二日酔いです。

ユーモアをまじえながら、観客からの質問に真摯に答えるオダギリジョー監督。一緒に作り上げたスタッフ、キャストへの感謝をまず述べていました。ハンサムです。

映画監督オダギリジョーは、映画を通じて現代社会への警笛を鳴らしている。監督トークを聞いたから感じたのかもしれないが、なんとか届いてほしい、っていう叫びにも似た。環境問題を筆頭に、自分さえ良ければという風潮、便利になる世の中、自我、嫉妬、刹那的享楽的志向、日々の生活の中での静かな葛藤。

今の日本映画はこんな映画は好まれない。こんな重たいテーマの映画はヒットするわけないから作れない。芸術、アートが本来本質的に内包している反体制的な側面を堂々とぶつけてきた監督オダギリジョー。いや、ハンサムすぎる。これをオダギリジョーがやったことが本当に意義があるんじゃないか。

また映像が本当に素晴らしい。どこを切り取っても絵画のように美しく、特に雨のシーンは安藤広重かよっていう…。なるほど、衣装担当、撮影監督すごすぎる。

スカラ座さん、素敵な企画をありがとうございました。観に行って良かった。

~~~

オダギリジョーが満を持して長編映画の初監督に挑戦したのが『ある船頭の話』だ。脚本は10年前に書き留めたオリジナルストーリー。年号が「平成」から「令和」に変わる今、文明の波や時代の移り変わりに直面した山あいの村を舞台に、「本当に人間らしい生き方とは何か」を世に問う問題作が生まれた。
近代化で橋の建設が進む川辺の村。川岸の小屋に住み船頭を続けるトイチは、村人たちが橋の完成を心待ちにする中、それでも黙々と渡し舟を漕ぐ日々を送っていた。そんな折、トイチの前に謎めいた少女が現れ、トイチの人生は大きく変わり始める……。
時代に取り残される主人公の船頭・トイチを演じるのは新藤兼人監督作品『石内尋常高等小学校 花は散れども』以来、11年ぶりの主演となる名優、柄本明。謎めいたヒロイン役には川島鈴遥を抜擢。トイチを慕い、多くの時間を共に過ごす村人・源三役には若手実力派、村上虹郎。ほかにも日本映画界を代表する多彩な顔ぶれが競演。その豪華さ、意外な起用には驚くはずだ。
元々、監督業に興味を持っていたオダギリだが、この10年間はその想いを封印してきた。その心を動かすきっかけとなったのは『恋する惑星』(94)、『ブエノスアイレス』(97)の撮影監督として知られる巨匠クリストファー・ドイルとの出会いだった。ドイルの監督作『宵闇真珠』(18)に主演した際、「ジョーが監督するなら、俺がカメラをやる」とバックアップを約束したのだ。
俳優として海外でも精力的に活動してきたオダギリのもとには国際派スタッフが集結。撮影監督のドイルのほか、衣装デザインには黒澤明監督の『乱』(85)で米アカデミー賞®を受賞したワダエミ、そしてアルメニア出身の世界的ジャズ・ピアニスト、ティグラン・ハマシアンが映画音楽に初挑戦。監督オダギリジョーが一流の才能を集め、比類なき作家性を発揮し、圧倒的な映像美と音楽で紡いだ、極上の物語が完成した。